【プロフィール】

代表理事 高久恵美子
なぜだか子供の頃から医者通いの多い生活をしていました。
抗生物質をのみ、胃腸が荒れ、胃薬をもらう。
そんなことを大人になるまで、社会人として看護師になってからも繰り返していました。

疲れやすい、頭痛がよく起こる、風邪もよくひく、ニキビで顔が赤くなる、増減の激しい体重。
そんなことが当たり前となっていた日々でしたが、それらを手放したいと強く願う時がありました。

そこから色んなことを試し、お金と時間をすり減らしながらたどり着いた先に「食事を整えると体が整う」という答えが待っていました。

20代のうちに、健康美に対して使った金額は500万円以上

真剣に悩み解決してきたからこそ、気づいたこと、伝えられることがあります。
人生は、より楽しく、より成長するためにあります。
今、コンプレックスに思っていることや、単に知り得なかったことも、「今この瞬間」から自身で変えていけます。

日本は、豊かであるがゆえに膨大な情報やモノに左右されています。
その分、日々口にするもの何なのか、明日のため、未来のために何を自身や家族の食事をすればいいのかを考える必要がある時代に入っているのです。

スーパーでの買い物、ふと立ち寄ったコンビニ、仲間と行くレストラン、旅行先での食事、小腹がすいた時の間食など、日常にはありとあらゆる「食」のタイミングが存在しています。

それらを全ての人にとって「健康美溢れる体づくりのための意味ある食事」となり、世界が再びお手本にしたくなるようなものへと変えていくことが当協会の使命です。

食事を価値あるものに変え、わたし達は社会を、世界を、健康美あっての豊かな毎日になるよう革新していきます。

一般社団法人 日本美食脳アカデミー協会 高久恵美子

【経歴】

2004年    国際医療福祉大学保健学部看護科卒業
保有資格:看護師/保健師
2015年    美食脳トレーニング講座開講
2017年 3月 13名の認定講師と美食脳アカデミー協会創業
2017年 7月 日本美食脳アカデミー協会を設立 代表理事就任

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子供時代

よく風邪をひいていました

栃木県足利市に生まれました。
もの心ついた時から、よく薬を飲んでいました。
慢性副鼻腔炎を診断されたこともあり、風邪薬や抗生物質が多かったと記憶しています。

粉薬がまずくて嫌いだったこと、錠剤を出されるようになってからは、飲み込めなくてよく泣いていました。
幼稚園バスの中では、飲み込めずに口腔内の残っていた錠剤が苦くてついもどしてしまった、本当に苦い思い出があります。

小学校~高校

横に大きく成長しニキビとともに過ごした「青春」

小学校高学年になると、一気に食欲が沸き起こり、食べる量が増えていきました。
しかも、食事が好き、というよりはお菓子が好き。お菓子をめいいっぱい食べ、食事は少し、という何とも適当な食生活を送っていました。

体型は横に大きく成長し、同時にニキビで顔が赤く炎症を起こし、写真を撮られるのが大嫌いでした。自分に自信がなくて、よく人目を気にしている子供でした。

食学生の頃から肩こりや頭痛を頻繁に感じ、湿布薬や鎮痛剤をよく使用していました。
初潮を迎えたのも4年生の秋と、当時としては早熟性徴でした。
また、体型が大きくなったからといって、体が丈夫になったかというとそうでもなく、幼少期と変わらず医者通い・薬頼みの日々は続いていたのですが、当時の認識としては「それが当たり前のわたしの毎日」になってしまっていたような気がして、非常に悔やまれます。

大学進学~看護師へ

華の看護学生のはずが・・・・

希望いっぱいでさせてもらった一人暮らし。
友達ともよく遊び、色んなところに出かけていき、朝まで楽しむ充実した毎日で、本当に幸せでした。
自炊も頑張っていたけれど、朝からどんぶり飯、昼にはお弁当に菓子パン、夜は大好きなケーキ、と自由気ままな「軸」のない食生活。

あっという間に体重は10キロオーバーとなり、実家から持って行った洋服が見事に入らなくなりました。
しかしながら残念なことに、この時、当の本人はというと、自分が巨大化していることに対して、なんの危機感・問題意識も持っていませんでした。
しいていうならば、どんなに体が大きく成長しようとも、風邪をひきやすい・どこかがいつも痛い、という虚弱体質は変わらないものなのだな~と思っていたくらいです。

激しい体重増減を繰り返す

人生最初の海外は、大学2年の夏休み。大学の単位でもあった海外医療視察で行ったベトナムとなりました。
熱気溢れるホーチミンで、約2週間楽しく勉強をしていましたが、パクチーが苦手でほとんど料理が食べられなかった上に、帰国日に激しい下痢になったことも手伝い、体重は5キロ近く減っていました。

にぎり飯より柿の種

同じくその年の秋、今度は、約1週間の中国訪中へ。故郷足利市との姉妹都市への訪中とあって、ホテル・寝台列車、全て豪華な場所を用意いただき、食事は朝から晩までフルコースのような感じでした。

特に、ホテルの朝食では、ヘルシーなお粥も堪能しつつ、クッキーもたんまりいただく。
そして異動先では現地のおいしい食材を食べ、夜には5つ星レストランでの食事が待っている。
今でも、目の前でさばいてもらう北京ダックの美味しかったことと、なぜか酔わない紹興酒の味は忘れることはありません。

訪中3日目から、行きに日本から履いて行ったパンツ類のウエストが閉まらなくなりました。笑
とにかく最高の中国でした。
この時の体重は、さすがに恐ろしくて測定することはできませんでしたが、とにかく全ての服がきつかったことを覚えています。

この訪中を叶えてくれたのは、応募した国際交流エッセイコンテストで特選をいただいた副賞でした。当時、看護師としてJICAで働くことを密かに夢見ていた私は、「どこにどう使われているのかわからないODAよりも、一人一人の人々に根付いた医療サポートや教育が必要だ」という意味を込めて「にぎり飯より柿の種」というテーマでエッセイを書いていました。

先のベトナムでの医療視察で現地の人々に触れ合う中で、まさにそのことを実感する学びがあり、まずは日本で最先端の医療現場で一人一人に向き合おうと、あっさりとJICAへの夢を捨ててきました。笑 読んでいただいている通り、健康管理が一切できていない自分のことはすっかり棚の上へ、となっています。

いつも風邪をひいている看護師

晴れて看護師として東京デビュー。

初めて配属された病棟は、入退院・オペで忙しく、朝早く出勤し、帰宅は23時過ぎが続きます。そこに夜勤業務も加わってきて、日々どう過ごしていたのかすら覚えていません。

いつ電話をしても出ないと、母親が心配していました。

この、看護師としての新人時代、ダイエットなど一切していないのにも関わらず、体重はあっという間に40㎏前半へ。数字は明確ではありませんが、15~20kg近く体重が落ちた時期です。
昼食が摂れない日があったり、残業終わりに疲れてトースト1枚食べて寝る、ということが続いていたせいでした。まさに「食事の意味と意義」なんて知らなければ、考えたことのない看護師が、医療に携わっていたという、ちょっと恐ろしいことをしていたわけになるのですが、当の本人はまだまだそこには気づいていません。

3年連続インフルエンザに罹患

自分の状況に疑問を持った日

小さな風邪はしょっちゅうひいていて、幸い、看護師寮の近くにも耳鼻科があったのと、勤務していた病院でも勤務中に診察はしてもらえていたので、とにかく薬があれば、という感じで過ごしていました。

ところが就職した最初の3年間で、毎年連続インフルエンザに罹患するという経験をしました。ひどい年には、インフルエンザA・B型両方に罹患することも。

なぜわたしばかり、こうも体が弱いのか。これは普通ではなく、異常なのではないか??
患者さんにも職場に迷惑をかける・・・・。いい加減、社会人としてしっかりしなくては・・・。

ここから、わたしの健康追求生活がスタートしたのです。

勉強~美食脳誕生

500万円以上の自己投資の日々

最初に、食事を整えようと、お料理教室に通いました。素敵なレシピをマスターし、パンもスイーツも自分で作れるようになることはとても楽しく、本当にのめり込んだ4年間でした。

しかし、料理のバリエーションは増えたものの、体に歴然とした変化を感じることはなく、むしろ食がすすむことで当時のパートナーの体重を10㎏も増やすことになってしまったのでした。

今度は体力をつけようと、スポーツジムに通い始めます。しかし、疲れやすい体質な上に、仕事の激務も手伝って、そのうちに足が遠のいていき、長続きしませんでした。

またこの時、数万円もするサプリメントも人様からのすすめで飲むようになりましたが、これも効果をイマイチ感じず・・・・。

ここからは、健康と美容の境界線がわからなくなり、美顔器を購入してみたり、高級エステに通ってみたりと、得る情報のままに時間とお金を費やす日々を送っていたように思います。

菜食主義との出会い

この時、ヨガの先生のすすめで「菜食」を主とする食事法に出会います。これが効果てきめんで、菜食を摂り入れることによって、体に良い変化がたくさんありました。

「やはり食事の影響は大きいのか」と気づき、看護師をしながらWワークで菜食の摂り入れ方を教えるサロンを開業。過去のわたしと同じような、「食事の軸がない」という生徒様がたくさん勉強しに足を運んでくださいました。

ところが、この菜食を主とした食事を続けること2年半。当時、採血データから「異常値」を示すものが出てきたのです。それに併せて、体感や食事への満足感という面からしても菜食を主とした食事法への限界を感じていました。

さらに勉強を重ねること・・・・
そこから、これまでの知識を封印して、一から食事と体の勉強のやり直しの日々がスタートしました。
どうにも看護過程で学んだ栄養学だけでは説明しきれないことも多く、あっちの文献を広げては・・・と調べていきましたが、とても有意義な時間でもありました。

この、改めて勉強をするという時間から、人間の体の仕組みや生理現象、栄養とはなにか、食事とはなにか、という専門的なことから、そもそも人間として生まれてきた有限の時間をいかに楽しく繁栄させていくのか、という視点で「食事と人生」を絡めて考える視点を持つことができたように思います。

自分の中で革命が起きた

勉強をして掴んだことは、「食事にはバランスが大切である」ということ。そして、食事とは、単に健康や美しさのためにいただくものではなく、人生をより楽しくより豊かに楽しむためにも重要な役割を持っていることにも気付くことができました。

あれはダメ、これはダメ、というガチガチの食生活で豊かな文化に身を置く自分たちを縛り付けることなく、柔軟に楽しみながら健康美を保つためには、柔軟な思考も必要である。

それらを総合して完成した食事の法則で、確実なる体と心の健康美を手に入れることができたという実感を得ることができました。

もっと、この考え方、方法を子供の頃から知っていたら、病院通いをしていた時間、もっと公園で遊べたかもしれない。薬の副作用を受けずに済んだかもしれない。ニキビで悩んだ時間も、体重の増減の度に買い直した洋服も不要だったかもしれない。

そう思うと、残念さというより、「これで変われる!これで救える!」という情熱が湧いてきたのでした。

看護師卒業の時

ここで見つけた食事法を伝えることで、社会貢献をしてみたい。
そういう思いが強くなり、当時勤務していた病院長の元へ相談にいきました。

すでに内緒でWワークとして活動はしていたのですが、「知っとったよ~。いつかそう言ってくる日がくると思ってたよ~。」と規定違反を咎められることなく、快く送り出してくださいました。
本当に感謝をしています。

全国から集まった仲間たちとともに
わたしが、子供の頃に間違いなく必要としていた食事の方法・捉え方を伝える。
そう決心すると、SNSを見たという方が全国から学びに来てくれるようになりました。

活動すること2年半を迎えた時、「自分や家族を変えてくれた美食脳という考え方を、一緒に伝えていきたい」と言ってくれる仲間が増えました。

まさにわたしも、大人が知らなければ、子供にも伝わっていかない。もっといえば学校教育にも必要なのではないだろうか。さらには世界の飽食の国や貧困の国にも必要な知恵だと、思いがこみ上げていた時でした。非力な自分達に何ができるかはわからない。でも、自分達の経験はきっと誰かの役に立つと、一般社団法人日本美食脳アカデミー協会の設立を決めました。